相場のことは相場に聞けとはよく言われる言葉です。「一所懸命値動きを追っかけていけば、相場はおのずから問う者に心を開き、その方向を指し示してくれる」とも言われます。ベテランと呼ばれる人たちのなかには、このようなわけのわからないことを言って若者たちを煙に巻き、ひとり悦に入る人もいます。意味するところは、己の自我を捨てて謙虚に相場に臨めくらいのところでしょう。
市場は常に正しいとも言われます。確かにあるがままの状態を受け入れることは大切です。しかし、市場価格にも原因があるから結果があるのです。あるがままを正しいからと受け入れるだけでは、次の動きが読めません。もっとも私は、市場価格はほとんどの場合、歪んでいると見ています。相場は常に行き過ぎ、行き過ぎては戻り、今度は戻り過ぎてしまうものなのです。したがって、より正確には、市場は正しいものを求めて、右往左往しているといえます。
相場に入るには相場観が必要です。「だからこうなる」というシナリオが必要です。テクニカル指標を見る人は、値動きのパターンから相場の動きを予測します。重要なのはそれがいかに完全無欠、鉄壁のシナリオに思えようとも、しょせんは仮説の積み重ねであると自覚しておくことです。
私たちは、実にさまざまな物語に取り巻かれています。断片的に与えられる事実を、想像力の助けを借りて一つの筋道の通る話にまとめ上げ、それを発展させて将来の動きを探っています。
あるニュースが事実か噂か。人気や市場心理、他人の相場観。テクニカル分析。ファンダメンタルズ、、、。すべては、よりもっともらしい完璧な物語を作る上で重要です。しかし、「第一章03 見ているものが違う」の項でも述べたように、その材料となる事実も、どこまでが事実であるかは、実に曖昧なのです。また、これこそは正真正銘の事実だと思われることですら、ある一定の条件の下でのみ当てはまる事実であって、その前提条件が通用しなくなれば、いつまでも事実と呼ぶことはできないのです。
エコノミストが将来の景気予測をたてるときも同様です。彼らはある与えられた条件をもとに、方程式を解くかのように仮説を積み重ねてゆきます。もちろん、基礎となる条件の「ぶれ」に対しては、相応の「ぶれ」の範囲を予測の中に組み入れてはいます。しかし、条件そのものが崩壊するようなリスクに対しては、「そのようなことが起こったのなら仕方がない」と許されることになっているのです。
相場の世界で相場観がよいと自他共に認めているような人が陥る落とし穴は、その仮説が完璧に近く思えるために、半ば事実と錯覚してしまうことです。ここでも「あんなことは誰も予測しえなかった」などという言い訳が用意されています。
しかし相場の世界には、どんな言い訳も許されない現実があります。それは、価格です。目の前にある価格は、逃れることのできない、厳然たる事実なのです。市場というシステムを利用し、決められたルールに従って収益を上げるという前提条件を受け入れる限り、価格が示す現実から目をそらせてはなりません。その意味で、市場は常に正しいのです。
相場のことは相場に聞けとは、現実を直視しろということなのです。現実を受け入れて対策を練ることによって、相場の方向が見え、何をなすべきかがわかるということです。相場と歩調を合わせるように努めましょう。自分が相場と一体となったイメージを持ち、そこから何が見えるかを考えるようにします。自分の升で相場を計ってはなりません。
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